とくまりンゴの日記

86に乗ったり写真撮影しているブログです。ダムや野鳥も好きです。

【小言】平成が終わる実感

こんにちは、@t_yamarimo です。

 

何だかんだ、この記事を書いているのは4月28日ですが、投稿は30日の予定です。まぁなんで30日にこんな記事投稿してるんだって感じではあるのですが、やっぱり、本当の意味で平成最後なんですよね。

 

どうしても簡単な文になりますが、「平成最後」と言う4文字について思った事を適当に書いておきたいと思います。写真は写真ブログなのに、何も写真が無いのもなぁと思って撮った感じで深い意味はあまり無いです。

 

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Googleの有名な解析ツールによると、このブログの主な読者層は40-50代が一番多いらしいので、大部分の方が昭和から平成に変わる瞬間を目の当たりにされて来た事と思います。そんな平成から令和に移り変わり、また次の元号へとおそらく繋がっていく事になるのでしょう。

 

いつぞやの記事にも書きましたが、システム関係で働いていると、西暦で統一してほしいって発表されるまでは思ってましたが、発表されるとやっぱり元号っていいなって思っちゃうので今後も残っていってほしい文化だと個人的には考えてます。

 

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元号が変わり、私としては歴史の変わり目と言っても過言ではなほどの区切りに立ち会えるものと思ってたりもするのですが、同時に最近特に思う事として、今この瞬間も数秒後には過去になってしまい、この瞬間はもう帰ってこないという事をヒシヒシと感じてしまいます。

と言うのも建物がわかりやすい例で昭和の遺産なんて呼ばれていたものも昔は活気があり、人とモノにあふれて世の中に必要とされていた頃もあった事と思います。土地も、今は別の建物が建っている場所も昔は人々の集まる憩いの場や、誰かの思い出の場所だったりしたことでしょう。

 

今に始まったことではありませんが、時代は移り変わるものなので、平成もあと数十年経てば当たり前が遺産となり、その時の思い出も時とともに遺産となり、いつしか消えていってしまうんですよね。

 

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まぁなんで急にこんなこと言いだしたかって話なんですが、10連休はとある事情で実家に帰って来てて、昔のアルバムを見つけちゃったんですよね。

 

そのアルバムは私が幼稚園児くらいから大学卒業まで卒業アルバムとかも含めると一通り残っており、なんだかんだ見ていると懐かしさもあるのですが、あの頃はこうだったとか、写真を見ると思い出せるあの頃がもう10年、20年前なんですよね。

 

部屋も間取りは同じでも今と家具が違っていたり、両親が若かった頃やまだ生きていた親戚や祖母、言い出すときりが無いのですが、今は無き、あの頃が写真の中では生きていたんですね。

 

ただ、この写真を破棄してしまったり、ここに残っていない思い出はよほどの理由が無い限り思い出されることもなく、ただ消えていってしまうと思うと急に悲しい気持ちになって来ちゃった次第です。

 

新しい時を進まざるを得ないのが私たち人間ですが、過ぎ去った過去は無意味だったのかと思うとそんなことはありません。あの頃は今に至る過程ではありますが、同時に思い出でもあります。そう考えだすと、今この瞬間も何かしらの形で思い出に残すというのがやっぱり大事なんじゃないかなぁと思うところです。

 

まぁ両親もいつまで元気かもわかりませんし、今の自分も今以上に老いていきます。新元号への期待もありますが、過去や今を残すということを意識しながら新しい元号の時代を生きて生きたいと考えるって感じですかね。

 

ぐだぐだと答えのないことを書いてますが、そんなことを思ったりもしてしまうもんです、平成の終わりってのは。まぁでも令和、いい時代になるといいですよね。

 

おわり